古い庭に、一本の若い木が育っていた。初めは添え木に身を寄せ、雨のたびに葉を伏せていたが、いつしか枝先は塀を越え、庭の外を吹く風に触れるようになった。朝日を受ける葉の裏が、そこだけひと足早い季節のように光っていた。
庭師は、その木のために土を耕した。乾いた日には水を運び、霜の降りる夜には根元を覆った。けれど、どこへ枝を伸ばすかを決めたのは木だった。思いがけない向きに芽を出すたび、庭師は鋏を持つ手を止めた。その枝が見つけた光を、自分はまだ知らなかった。
やがて、木を遠い土地へ移す話が決まった。もっと深く根を張れる、空の広い場所だという。庭師はうなずき、移すのによい日を選んだ。根を傷めぬよう土を残し、運ぶ途中で折れぬよう枝を束ねた。長く世話をしてきた手は、別れの支度にもよく動いた。
ただ、夕方になると、その木のそばに立つ時間が長くなった。まだ見ていない花があった。蕾の色さえ知らない花だった。それがいつか咲くことを、庭師は信じていた。できることなら、この庭の朝の光のなかで見たかった。花の下に椅子を置き、その木陰でひと夏を過ごしてみたかった。
木が運び出されたあと、庭には丸い土の跡が残った。空は以前より広くなり、奥の草花にも日が届いた。庭師はそこをならしながら、何度か手を休めた。切れた細い根が、湿った土のなかに白くのぞいていた。
遠い土地から、よく根づいたという便りが来た。庭師はそれを窓辺に置いた。誰かが訪ねてくると、その話をした。新しい枝も出たそうだ、と話す声は明るかった。その晩、水やりに出た庭で、彼は空いた場所にも一度、如雨露を傾けかけた。
季節が巡れば、土の跡は草に覆われる。庭師はまた苗を植え、伸びすぎた枝を払い、降りそうな雨を待つだろう。それでも風の強い日には、ふと顔を上げる。塀の向こうで、あの葉が裏返るような気がする。耳を澄ますあいだ、鋏は開いたまま、手の中にある。



ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も
「あなたはそこに」(谷川俊太郎)