Anatomy Practice

「解剖実習を終えて」医学生からの言葉

解剖実習を終えて

2023年度 M2

 「みなさんの先生はご献体です」これは最初の授業で言われた言葉であった。聞いた時は実感こそなけれ、献体いただいた方への敬意を示せということなのだろうと受け止めていた。実際に解剖実習が始まると、限られた時間の中で、目の前の組織・筋肉・神経・血管などを覚えるのにただただ必死で、その意味について考える余裕はなくなっていた。

数週間して足の筋肉の解剖をしていた際に、同名の筋肉が左右で大きく異なることに気付いた。先生に聞いてみると、例えば杖をついていらっしゃったり、片側の足が不自由でいらっしゃったりするとこうして左右の筋の大きさが異なることがままあるとのことであった。脇目も振らず必死になって解剖してきたがその時に初めてご検体いただいた方の生前のお姿や生活に思いを馳せた。今、目の前の方は、どのように生まれ、どのような人生を送り、そしてご献体いただくという結論にいたったのか、またご遺族の方々はその決心をどのように受け止め、賛同してくださったのか、そういった思いが巡った。

ある種、恐ろしいことではあるが、初めのうちも決して怠惰な考えや適当にやればよい、などと考えていたわけではない。真剣に取り組んでいるからこそ、目の前のことに集中してしまっていた。そのあまり、その方の生活や人生を考えることを失念してしまうということは、将来、医師として多忙に、真剣に働く中でも陥りやすい状況なのではないかと推察する。しかし目の前の病理に集中するあまり、患者の生活や人生に思いを馳せられなければ、良い医療ができるとはいえないだろう。私はその時に初めて、「先生はご献体だ」ということの意味を実感できた。また、当然ではあるが、教科書通りでない三者三様の体の作りや、立体で見た時の見え方の違い、色や細かな形などはお一方お一方のお体をみることによって初めてわかることである。人体の構造の複雑さを、そして医療者として人の体や命に向き合うということを教えてくださった故人に深い感謝の意を表したい。

 ご献体いただき、6週間あまりも毎日お体を見させていただいた方のお名前や生活について我々は全く知ることができない。少しでもご献体いただいた方について考えたいと思い、解剖実習を終えて、『白き旅立ち』という本を読んだ。そこには日本で初めて献体をしてくださった方の半生がフィクションも含め描かれていた。献体いただいた方の本当の思いはもちろん本からもわからない。ただ、死後に解剖されることの忌避感を超えて、医学の発展のために献体を希望される経緯はどんなものであれ、真摯に考えていきたい。

 さらに、恥ずかしながら献体の歴史についても本実習を通じて初めて学んだ。白菊会の設立の経緯や『白き旅立ち』に描かれた医師らの解剖に対する熱意も、今の恵まれた状況との違いを強く実感した。我々は制度化された医学教育の中で、ご献体を準備され、清潔に、安全に整備された部屋で解剖を行うことができる。解剖実習を行えることをどこか当然のように感じてしまっていないだろうかと思う。解剖がこのように行えるように尽力した歴史上の方や、何よりもこれまで医療の発展のために献体いただいたすべての方にも改めて感謝申し上げたい。

 最後ではあるが、夏季休暇を利用して慰霊塔と、篤志解剖第一号の献体をしてくださった美幾さんの墓を参った。これまで我々がこのように学ぶことができるように尽力いただいた方への感謝は、今後、医療者として真摯に学び、そして働くことで初めて還元できる。その思いを忘れずに今後も勉学に励みたいと思う。

Parents hands handing poppy flowers

6週間の解剖実習はあっという間だった

2023年度 M2

6週間の解剖実習はあっという間だった。毎日御献体と向き合い必死で彼女から学んだ6週間は、今までの大学生活で一番濃密で、生涯忘れないと確信できるものであった。

解剖実習についてはいろいろな先輩方から事前に話を聞いていたが、想像すらできていなかったのだと知ったのは解剖実習室に初めて入った時だった。御献体を包む真っ白な布も、ひんやりとした空気も、どこか自分が違う場所にきてしまった不安感を私にもたらした。そして、同時に、この場所での6週間を無駄にしないように全力を注ごうという覚悟も生まれた。

 その覚悟を胸に毎日毎日予習復習に追われながら解剖をしていたが、満足いく日はほとんどなかった。最初の方は神経の位置を把握せずに実習にのぞんでしまい、たくさんの神経を傷つけた。その時感じたのは恐怖だった。一度傷つけてしまったら取り返しがつかないことを実際に経験し、もしもこれが手術であったら自分は患者の命を奪っていたのかもしれないと思うと恐ろしくなったのをおぼえている。勉強の仕方を学び次第に剖出できる様になっても、御献体に謝ることは多かった。休み時間を削っても、夜遅くまで残っても学びきれないほど多くのことを御献体は教えてくれ、座学で文字ばかり追ってきた私は驚いてばかりだった。全身に張り巡らされる神経や血管の位置、その繊細さは想像と全く違っていたし、逆に臓器の構造は学んだ通りであった。発生学とも組み合わさって、各臓器と神経のつながりは非常に興味深かった。解剖の先生の1人が、解剖に詳しいからこそ自信を持って治療を行うことができるとおっしゃっていたがその通りであると思う。人体の複雑な構造を理解することは容易ではないが確実に医療行為に直結する。医師になるにあたって解剖は絶対に必要なものなのだと切に感じた。

 「御献体くださった故人とその遺族の尊い意志に感謝を」。これは毎日の解剖前後の黙祷の際の言葉だ。解剖で御献体と向き合う時、いつも“尊い”という言葉はぴったりだと思っていた。御献体がなければ私たちはこの様な学びの機会を得ることができなかった。きっと故人も御遺族の方々も、これからの医療の発展につながると信じてわたしたちに体を預けてくださったのだろう。故人の生きている時に会うことは叶わなかったが、亡くなってからも私たちへの期待は感じることができた。今回の解剖で私は本当に未熟であるということが浮き彫りになったと思う。しかし確実に医学生としての意識は大きく変わった。故人の方、御遺族の方の尊い意志を、期待を、無駄にすることのないようにさらに精進していきたい。     

6週間に及ぶ実習を支えてくださった全ての方々への感謝は忘れません。本当にありがとうございました。

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解剖実習を終えて

2023年度 M2

 今日の最終試験をもって解剖実習が完全に終了しました。1か月半という密なスケジュールは長いようで短いものでした。

 初めてご遺体と向き合ったときご遺体はとても安らかな顔をされていました。その顔を見ていると、「これからこの方の体をお借りして、たくさんのことを勉強させていただくのだ」と身の引き締まる思いがしました。初日の皮切りはご献体くださった方の組織を壊してしまいそうでほんとうにおそるおそるでした。

 教科書やバーチャル上で予習してもわからなかったことが、いざ解剖実習を行って実際に自分の手で触れたり目で見たりして観察することで、自分の中で「そういうことだったんだ」という理解に変わる瞬間を何度も体験しました。その反面、正常とは異なるものを見たときの違和感や混乱も体験しました。実際にご献体に触れて見て感じたことが自分の知識として蓄えられていくのをひしひしと感じました。教科書上の学習のみならず、実際にご献体を解剖することで得られるものはこれからの私にとってとても大きな糧になったと思います。このような機会を与えてくださった、ご献体くださった方やそのご家族の方には感謝してもしきれないです。

 私たちの班のご献体は90歳で亡くなられた方でした。その方の死因は誤嚥性肺炎でしたが、心臓に大動脈瘤があったり、大腿上部に壊死が見られたりと、死因との直接的な関連はなさそうな「異常」が多くみられました。そのような部分は決して「健康」とは言えないものかもしれませんが、ご献体くださった方がその人自身の人生を生き切ったのだろうということを強く感じさせ、心にぐっとくるものがありました。

 今回の解剖実習を通して、人体の基本的な構造を知ること、そして一人一人の体の構造は皆少しずつ異なることを理解しておくことがこれからの学習や臨床、研究の場でいかに重要であるかを学びました。例えば、手術において基本的な血管や神経の走行や筋肉や臓器の配置を理解することはもちろん重要ですが、その走行や配置が患者さん一人ずつ少しずつ異なると知っておくことは、誤って組織を傷つけないために非常に重要だと改めて感じました。

今回の解剖実習では本当に多くの学びがありましたが、この期間だけで何もかも理解することはもちろんできませんでした。だからこそ、これから自分のわからなかったことを突きつめ、自分の理解に変え、さらなる学びに昇華させていきたいです。これが医療の発展のためにご献体くださった方やそのご家族の気持ちに応えることにつながると信じています。

ご献体くださった方とそのご遺族の方、このような大事な機会をくださり本当にありがとうございました。

Bouquet of white autumn chrysanthemum, close up

解剖実習を終えて

2023年度 M2

自分自身の身体について理解したい。これは私が医師になりたいと思った理由の一つだ。私はずっと、生まれた時から使っているこの身体を、ある程度、意識的にコントロールできていると思っていた。実際には、身体の中で自分の意識通りに動かせている部分はたった一部であって、医学的な知識のある人ならそれは当たり前のことのように感じるかもしれない。しかし私は、病気になって初めて、自分の身体は必ずしも自分の思い通りにできるわけではないのだという実感を持った。そこで、如何に自分自身の身体について知らないのか痛感させられ、それについて学びたいという目標を持った。振り返ると、この解剖実習を通して漸く、その目標を達成するためのスタートラインに立てたのではないかと思う。

今まで私は、身体の全体的なイメージが掴めていなかったため、医学について学んでも、その内容と自分自身の身体と結びつけて考えることができていなかった。しかし、解剖実習を進めるにつれて、私達の先生である目の前のご献体を通して学んでいる知識を、自分の身体に投影することができるようになった。

解剖実習で人間の身体に実際に触れて、その中を剖出していく過程は衝撃的だった。今まで座学で人間の身体について勉強してきたのとは違う、リアルな学びだった。また身体をバラバラにして学ぶのではなく、一体のご献体で、すべてが繋がった状態を見ることができた。そうすることで、身体を形作る構造のうち、一般的な部分と特殊な部分とを分けて認識することができるようになったと思う。

また、解剖実習を通して、医学を学ぶ姿勢に変化が生まれた。解剖実習開始直後は、分からないことが多く、手引きを読んで与えられた課題を必死にこなすことで精一杯であった。しかしながら、中間諮問の前後で、自分たちだけで解剖に取り組むと、どの部分が重要なのか分かっていないことに気づいた。先生方に質問をすると、いつでも広い視点から、全体の理解に役立つ回答をしてくださった。独りよがりになるのではなく、より広い知識を持つ人を頼って学習をすることの重要性に改めて気付かされた。

最終諮問では、先生が発生学と絡めて心臓の解説をしてくださった。私がその中で衝撃を受けたのは、心繊維三角についての解説だった。初めてその言葉を知ったとき、繊維という言葉が脈絡もなく登場したことに軽く疑問を抱いていた。しかしながら、それについて深く調べることはないまま、諮問の日を迎えた。当日、洞房結節から発生した電気信号が、房室結節へ伝わった後、心室全体へ伝わってしまわないのはなぜか、それを可能にする構造は何か答えよという質問があった。その答えこそが心繊維三角であり、つまりそれが絶縁体の役割をする構造であると分かった時、繊維という言葉とその役割が結びついて、感動を覚えた。今までの自分の疑問が解消されただけでなく、こういった印象的なエピソードを結びつけて覚えることで、丸暗記から脱し、理解の上で記憶に留めることができるのだと気付いた。これから学ぶ医学のどのような内容でも、自分よりより広い視野や知識を持つ人から積極的に話を聞くことが、深い知識の定着への近道になると学んだ。

この六週間は、非常に苦しかったが自分の成長を実感できる時間となった。最後になりますが、ご献体頂いた故人と、そのご家族の方々、本当にありがとうございました。私たちの成長、医学の発展を願い、このような貴重な機会をくださったこと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今回学んだ知識だけでなく、感じた思い、この解剖期間に私たちの学習を支えてくださった皆様の存在を忘れることなく、多くの人を救える医師を目指して勉学に励んでいきたいと思います。

Festive invitation card with beautiful flowers on the white background

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