十月初旬、常陸の野には、音もなく秋が深まり始めます。朝、遠く筑波嶺を望めば、夏のあいだ山を包んでいた霞は薄れ、その双峰は澄みわたる空に静かな稜線を描いています。吹き渡る風にも、いつしか冷ややかな気配が宿ります。
田では稲刈りが進み、黄金の波を揺らしていた稲穂は姿を消し、刈田には淡い藁の色が残ります。畦の彼岸花も盛りを過ぎ、夕暮れには金木犀の香りが、どこからともなく漂ってきます。西へ傾く陽が筑波の山影を長く引くころ、草むらから聞こえる虫の音はいっそう澄み、暮れゆく野を満たします。
古く『万葉集』にも詠まれた筑波の山。その姿は変わらずそこにありながら、季節だけが静かに移ろってゆきます。けれども、光の長さや気温の変化に応じて姿を変える草木や生きものを眺めていると、「変わらないもの」の内側にも絶え間ない変化があることに気づかされます。それは、発生から成熟へと刻々と姿を変える生命を見つめる研究にも、通じるものがあります。神無月の澄んだ空の下、目に見える変化の奥にある仕組みに思いを巡らせることもまた、科学の始まりなのかもしれません。






