十月も半ばになると、つくばの朝には、薄い硝子を隔てたような澄んだ冷たさがあります。窓を開ければ、筑波山の二つの峰が、淡い空に輪郭を現します。夏のあいだ霞んでいた山を、今日はひときわ近く感じます。マグカップから立つ湯気を見送りながら、この山の見える街で、また一日を始めます。大学構内では、金木犀が香ります。自転車で通り過ぎてから気づき、少し速度をゆるめます。振り返れば、生垣の奥に小さな橙色の花が見えます。急ぎ足の日々にも、花は花の時を違えず、秋の便りを届けてくれます。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
藤原敏行が『古今和歌集』に残した、秋の訪れを詠む一首です。十月のつくばでは、秋はもう目にも見えています。それでも、並木を渡る音に足を止めるとき、遠い昔の歌が、いまの胸に届きます。葉の色だけでは知りえない季節の深まりを、風はそっと伝えてくれます。
大学から少し離れれば、刈田が広がります。稲を刈ったあとの田には、低い陽が斜めに差し、藁と土の匂いが漂います。筑波山の裾を雲の影が渡り、畦の草が穂を揺らします。遠くで鳥が一声鳴き、そのあとには、先ほどより深い静けさが戻ります。
研究棟では、動物の世話をする音や、学生たちの話し声が続いています。ディスプレイから目を離すと、窓の外には夕暮れが迫っています。今日わかったことも、まだわからないことも、ノートの上に並びます。書き留めた数行を読み返すうち、並木の向こうの空は薄紅から紫へと移り、昼には気づかなかった虫の声が聞こえます。研究棟の窓にはまだ灯がともり、そのひとつひとつで、誰かの仕事が続いています。十月半ばの常陸野を吹く風は、心の罅をそっと撫でていきます。







「ぎんがぎがの
すすぎの底でそっこりと
咲ぐうめばぢの
愛どしおえどし。」
鹿はそれからみんな、みじかく笛のように鳴いてはねあがり、はげしくはげしくまわりました。
北から冷たい風が来て、ひゅうと鳴り、はんの木はほんとうに砕けた鉄の鏡のようにかがやき、かちんかちんと葉と葉がすれあって音をたてたようにさえおもわれ、すすきの穂までが鹿にまじって一しょにぐるぐるめぐっているように見えました。
嘉十はもうまったくじぶんと鹿とのちがいを忘れて、
「ホウ、やれ、やれい。」と叫びながらすすきのかげから飛び出しました。
鹿はおどろいて一度に竿のように立ちあがり、それからはやてに吹かれた木の葉のように、からだを斜めにして逃げ出しました。銀のすすきの波をわけ、かがやく夕陽の流れをみだしてはるかにはるかに遁げて行き、そのとおったあとのすすきは静かな湖の水脈のようにいつまでもぎらぎら光って居りました。
そこで嘉十はちょっとにが笑いをしながら、泥のついて穴のあいた手拭をひろってじぶんもまた西の方へ歩きはじめたのです。
それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。
『鹿踊りのはじまり』 宮沢賢治 初出:「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社 1924(大正13)年12月1日