「うまくいかない」を積み重ねる―エジソンに学ぶ実験の思想
「私は失敗したのではない。うまくいかない方法を1万通り発見しただけだ。」
発明王トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の言葉として、しばしば紹介される一節です。失敗を否定的に捉えず、そこから得られた知識に価値を見いだす言葉として、研究や教育の場でも引用されます。しかし、この整った文章をエジソンが実際にそのまま口にしたことを示す同時代の記録は、現在のところ確認されていません。では、これは後世につくられた「偽の名言」なのでしょうか。実際にはそう単純ではありません。言葉そのものは後世に整えられていますが、その根底にある考え方については、エジソン自身の記録に明確な原型があります。
1882年、エジソンは“How to Succeed As An Inventor(発明家として成功するには)”と題する文章のなかで、経験を積んだことで「うまくいかない膨大な数のもの」を知るようになったと述べています。その知識があるからこそ、新しい発明に取り組む際、すでに見込みのない領域を再び歩かずに済むというのです。つまり、成功しなかった実験も、次の探索範囲を狭める知識として蓄積されていました。エジソンのこの文章は、Rutgers UniversityのThomas A. Edison Papersにも書誌情報が収録されています。
現在の名言にさらに近い記録が現れるのは1910年です。Frank Lewis DyerとThomas Commerford Martinによる伝記 Edison: His Life and Inventions には、エジソンの協力者Walter S. Malloryの回想が収められています。
エジソンは当時、新しい蓄電池の開発に取り組み、9,000回を超える実験を繰り返していました。Malloryが、これほど努力したのに「結果が得られていない」のは残念ではないかと尋ねると、エジソンは「結果ならたくさん得ている」と答え、続けて、
“I know several thousand things that won’t work.”
―「うまくいかないものを数千も知っている」
と語ったとされています。
翌1911年に出版されたWilliam H. Meadowcroftの The Boy’s Life of Edison にも、ほぼ同じ逸話が掲載されています。この本はエジソン自身が内容を読んだうえで出版を承認したと序文に記されているため、この逸話が少なくとも当時のエジソン像とかけ離れたものではなかったことがうかがえます。
さらに1921年、エジソン本人がB. C. Forbesのインタビューで似た経験を振り返っています。何千回もの実験の末に結果が出ず、同僚が「何も分からなかった」と落胆したとき、エジソンは、そうではないと考えました。その方法ではできないことが確実に分かったのだから、次には別の方法を試せばよい、と説明しています。そして、十分に考え抜いて取り組んだ失敗からは、多くを学ぶことができると述べています。
興味深いのは、ここまでの史料には、現在有名な「1万通り」という形が出てこないことです。1910年の逸話でエジソンが述べたとされるのは「数千」です。一方、その蓄電池開発では実験回数そのものがやがて1万回を超えました。後世になると、この「1万回の実験」と「うまくいかないものを数千知った」という二つの要素が結びつき、
“I have not failed. I have just found 10,000 ways that won’t work.”
という、今日よく知られる簡潔な名言へと整えられていったと考えられます。少なくとも1967年の雑誌 73 Magazine には、すでにこの完成された形が掲載されています。
もう一つ注意したいのは、この逸話がしばしば「電球を発明するまで1万回失敗した話」として紹介されることです。1910年の伝記に記されたMalloryとのやり取りは、白熱電球ではなく蓄電池の開発についてのものです。ここにも、長く語り継がれるうちに複数のエジソン伝説が混ざり合った形跡があります。したがって、「私は失敗していない。うまくいかない方法を1万通り発見した」という文章を、エジソンの逐語的な発言として引用するのは正確ではありません。しかし、その思想までが後世の創作だったわけでもありません。
期待した結果が得られなくても、その条件では目的を達成できないと分かったなら、それもまた一つの結果である―。1882年の本人の文章から1921年のインタビューまで、一貫して見えてくるのは、この実験哲学です。
科学研究でも、仮説が支持されなかったことと、研究が無意味だったことは同じではありません。適切に設計され、記録された実験で得られたnegative resultは、可能性の一つを除外し、次に進むべき方向を示します。
後世につくられた「1万通り」という数字以上に興味深いのは、エジソンが本当に残した考え方なのかもしれません。失敗を成功の反対側に置くのではなく、未知の領域を少しずつ狭めていく過程そのものを「結果」と考えること。そこには、百年以上を経た現在の研究にも通じる、実験科学の基本的な姿勢が表れています。





