若い才能というものは、しばしば完成された形では現れません。むしろ、不器用な言葉や、少し突飛な発想、周囲には理解されにくいこだわりの中に、その芽はひそんでいるように思います。経験を積んだ者の目には未熟に映るものが、実は新しい世界への入口であることもあります。
若い人には、まだ知らないことがたくさんあります。しかし、知らないからこそ、既成の枠組みにとらわれずに問いを立てることができます。「なぜそうなのだろう」「本当にそうなのだろうか」と、私たちがいつの間にか疑わなくなったことを、まっすぐに尋ねてきます。その問いに戸惑わされるとき、こちらの方が長い年月の中で何かを失っていたことに気づかされます。才能とは、知識の量や技術の巧みさだけではないのでしょう。何かに心を奪われ、時間を忘れて向き合う力。失敗しても、もう一度試してみようとする力。そして、自分だけが気づいた小さな違和感を大切にできる感性。そうしたものが積み重なって、やがてその人にしか歩けない道をつくっていくのだと思います。
もちろん、若い才能は繊細です。早すぎる評価や比較は、ときにその芽を縮ませてしまいます。だからこそ、周囲にいる者にできることは、すぐに答えを与えることではなく、挑戦できる場所をつくり、失敗しても戻ってこられる余白を残すことなのかもしれません。年月を重ねるほど、人は未来を経験から予測するようになります。しかし若い人は、ときにその予測を軽々と越えていきます。昨日までできなかったことが、ある日突然できるようになる。その瞬間に立ち会うたび、人間にはまだ見えていない可能性があるのだと思わされます。
若い才能を見守ることは、未来を信じることです。そして同時に、自分自身もまた新しいものに驚き続けられるかを問われることなのだと思います。





