八月が終わろうとしています。昼の陽射しには、まだ夏の鋭さが残っています。けれど夕暮れになると、風の中にごく淡い秋の気配が混じり始めます。蝉の声はなお盛んに聞こえていますが、その響きの奥には、どこか別れを予感させるものがあります。夏は、去る直前になって初めて、自分が去っていくことを知らせるのかもしれません。
八月という月には、いつも光が多すぎるように感じます。白く焼けた道、濃い木陰、青すぎる空、突然降り出す夕立。日々は強い光の中にあり、そのさなかにいるときには、夏が終わることなど想像できません。けれど月末になると、あれほど確かだった夏の日々が、もう遠い記憶のように感じられます。もう戻らない時間があることを、身体のほうが先に覚えているのかもしれません。
季節は、いつも何も言わずに過ぎていきます。昨日までと同じように見える木々も、空も、光も、少しずつ別の季節へ移っています。気づいたときには、蝉の声はまばらになり、夜には虫の音が満ちています。夏は明確な境界線を引いて去るのではなく、薄い水彩のように、少しずつ秋の中へ溶けていきます。
だから八月の終わりには、寂しさがあります。それは単に暑い季節が終わるからではありません。過ぎ去った時間が二度とは戻らないことを、夏の終わりが思い出させるからなのでしょう。それでも、暮れていく八月の空を見上げると、その寂しさはどこかやさしく感じられます。終わるということは、失うことだけではありません。過ぎた時間が記憶になり、心の中に残るということでもあります。八月最後の夕暮れです。そして明日になれば、空にはきっと、九月の光が差しているのでしょう。
本日は、久しぶりにラボセミナーが開催され、学生たちが集まってくれました。彼らの頑張りを論文としてまとめ、成果を世に還元するべく、執筆活動に注力したいものです。






