六月下旬になると、空はすっかり夏の顔を見せはじめます。朝のうちはまだ梅雨の名残を含んだ湿った風が吹いていても、昼近くには雲の切れ間から強い日差しが差し込み、街路樹の葉を濃く照らします。雨に濡れたアスファルトの匂い、草むらから立ちのぼる青い湿気、遠くで鳴きはじめる蝉の気配。季節はまだ梅雨の中にありながら、すでに夏の入口に片足をかけているようです。
この時期の不思議さは、静けさと熱気が同居しているところにあります。雨の午後には、世界全体が少し低い音で沈黙しているように感じられます。一方で、ニュースを開けば、スポーツの勝敗に一喜一憂する声があり、遠い国の試合結果が、朝の食卓や通勤途中の会話にまで入り込んできます。六月下旬の湿った空気の中で、人々の関心だけが、どこか遠くの競技場へ向かって熱を帯びていく。その落差が、かえって季節の輪郭を濃くしているように思います。
梅雨の終わりは、物事がはっきりしない時間でもあります。晴れるのか、降るのか。夏が来たのか、まだ待つべきなのか。勝ったのか、(想いは)届かなかったのか。期待と不安が入り混じり、結果を待つ時間だけが長く伸びていきます。しかし、その曖昧さこそが六月下旬らしさなのかもしれません。すべてが決まりきる前の、湿りを含んだ余白。そこで人は、空を見上げ、ニュースに目を通し、次の一歩を考えます。
梅雨前線が遠ざかれば、空は一気に高くなり、夏は容赦なく始まることでしょう。けれど、その直前の六月下旬には、まだ少しだけ立ち止まる時間があります。雨音を聞きながら、過ぎた半年を思い、これから来る季節を思う。熱狂も、失望も、期待も、湿った風に包まれて少しずつ沈んでいく。その静かな移ろいの中に、六月下旬だけが持つ、淡く深い美しさがあるのだと思います。7月の実習を見据えて、研究室の学生と協力し、研究活動を進めておきたいものです。また大学院入試を控えている受験生の方も試験当日まで頑張っていただきたいものです。



