講義室から病院へ

日本近代医学教育の礎を築いたポンペ・ファン・メールデルフォールト

ヨハネス・リディウス・カタリヌス・ポンペ・ファン・メールデルフォールトは、幕末の長崎で日本人に近代西洋医学を教えたオランダ海軍の軍医です。1829年にオランダで生まれ、1857年、幕府が設置した長崎海軍伝習所の第二次オランダ人教官団の一員として来日しました。1862年に帰国するまでの約5年間、医学教育、病院診療、公衆衛生の普及に尽力し、日本の近代医学の発展に大きな影響を与えました。

ポンペの重要な功績は、西洋医学を個別の知識や治療技術としてではなく、自然科学を基礎とする体系的な学問として教えたことです。1857年11月12日、長崎奉行所西役所で松本良順らを対象に医学講義を開始しました。講義では、物理学、化学、植物学などの基礎科学から始め、解剖学、生理学、病理学、薬理学を経て、内科学や外科学へと進みました。この教育課程は、基礎医学を学んだ後に臨床医学を修得するという、今日の医学教育にも通じる構成でした。

1859年には、ポンペの指導のもとで医学生による系統的な人体解剖実習が行われました。それ以前の日本でも人体解剖は実施されていましたが、医学教育の一環として学生が組織的に解剖学を学ぶ実習は画期的なものでした。人体の構造を実際に観察し、科学的な根拠に基づいて病気や治療を理解する姿勢が、日本の医学教育に根づく契機となりました。

J. L. C. Pompe van Meerdervoort、オランダ海事博物館所蔵、Wikimedia Commons

ポンペはまた、講義だけでなく、患者を診療しながら学ぶ臨床教育の必要性を強く訴えました。その働きかけにより、1861年、長崎の小島に小島養生所が開設されました。小島養生所は約120床を備え、患者の診療と医学生の教育を同じ施設内で行う本格的な西洋式病院でした。これは現在の大学病院につながる教育・診療体制の先駆けであり、長崎大学医学部および長崎大学病院の歴史的な源流とされています。

ポンペは、身分、国籍、貧富の違いによって患者を差別せず、貧しい人々にも診療を行いました。彼の「医師は自分自身のものではなく、病める人のものである」という趣旨の言葉は、医師の使命を端的に示しています。この精神は、現在も長崎大学医学部の基本理念として受け継がれています。

ポンペの教育を受けた松本良順、長与専斎、佐藤尚中らは、明治時代の医学教育、軍医制度、公衆衛生行政の整備に重要な役割を果たしました。ポンペは単に西洋の医療技術を日本へ伝えただけではありません。基礎科学、解剖実習、臨床教育、病院制度、医師倫理を一体として導入し、日本近代医学教育の礎を築いた人物です。

「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上,もはや医師は自分自身のものではなく,病める人のものである。もしそれを好まぬなら,他の職業を選ぶがよい。」(ポンぺの言葉)

https://www.med.nagasaki-u.ac.jp/med/contents/001_01_history.html

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