良寛(1758–1831)は、江戸時代後期の禅僧・歌人・書家です。越後国(現在の新潟県)に生まれ、形式的な寺院組織や名誉から距離を置き、極端に質素で自由な生き方を貫いた人物として知られています。
春になると、庵のまわりにも桜が咲きます。満開の花は、陽の光を受けて、まるでこの世のすべてが祝福されているかのように輝きます。しかし、良寛はその華やぎの中に、すでに散りゆく気配を見ていたのではないでしょうか。ひとひらの花びらが風にほどけるとき、そこには終わりではなく、静かな移ろいの始まりがあります。
「散る桜残る桜も散る桜」という一句は、そのまなざしから生まれた言葉です。いま散っていく花も、まだ枝に残る花も、やがては同じように風に舞います。その違いは、ただ時の順序にすぎません。けれど私たちは、散るものに哀れを見出し、残るものに安らぎを求めてしまいます。良寛の句は、そのような心の揺らぎを静かに見つめ、すべてが同じ流れの中にあることを教えてくれるのです。人の生もまた、この桜と変わりません。いま健やかにある者も、病の床にある者も、同じ春の光のもとにいます。先に散るか、後に残るか、その違いはほんのわずかな時間の隔たりにすぎないのです。そのことに気づくとき、私たちは他者と自分を隔てていた境界が、ゆるやかにほどけていくのを感じます。
花びらが地に落ちるとき、それは消えるのではなく、土に還り、次の命へとつながっていきます。散ることは終わりではなく、かたちを変えた継続なのです。だからこそ、散る桜も、残る桜も、同じひとつの命の循環のなかにあると考えられます。この一句は、静かな諦めではなく、やわらかな肯定を含んでいます。すべてが移ろいゆくからこそ、今この瞬間がかけがえなく輝いて見えます。春の空の下、散りゆく桜は、言葉を超えて、そのことをそっと私たちに伝えてくれます。
今春、大学を旅立っていく若い方が挨拶に来てくださいました。初めて会ったときよりも大きく成長した姿は頼もしく、これからも周りを明るく照らすことと思います。これからの活躍を祈念します!






散るという飛翔のかたち 花びらはふと微笑んで枝を離れる (俵万智 『サラダ記念日』)