金鵄のひらめき、黎明の空を裂いて

2月11日は、「建国記念の日」です。

日本の建国観は、主として和銅5年(712年)成立の『古事記』と養老4年(720年)成立の『日本書紀』に記された神話的叙述に基づいています。『古事記』は皇統の由来を物語として叙述した書であり、天照大御神の孫である邇邇芸命の天孫降臨から始まり、その曾孫である神倭伊波礼毘古命、すなわち神武天皇の誕生と東征へと物語が展開します。神武は日向を出発し、筑紫、吉備、河内を経て大和へ向かい、長髄彦との戦いを経て橿原宮で即位したと記されています。熊野で八咫烏に導かれる場面など、神意に支えられた王権成立の象徴的描写が特徴ですが、『古事記』自体は即位の具体的年代を示していません。

これに対し、『日本書紀』は中国の正史体に倣った編年体の国家史であり、神武天皇の即位について「辛酉年春正月庚辰朔」と干支を用いて明示しています。この干支を近世国学や水戸学の暦算、さらに明治政府による公式解釈が踏襲し、西暦に換算した結果、紀元前660年に比定されました。明治6年(1873年)には、この日を祝日「紀元節」として制定し、グレゴリオ暦上の2月11日を建国の起点と定めました。ただし、これは天文学的に自動的に導かれる日付というより、近代国家が採用した暦法と国家理念に基づいて制度的に確定された日付です。

紀元節は戦前には国家的祭日として広く祝われましたが、1945年の敗戦後、祝日制度の再編成の中で整理され、1948年施行の「国民の祝日に関する法律」では採用されませんでした。その後、1966年の祝日法改正により「建国記念の日」として復活し、1967年から現在の形で施行されています。ここで重要なのは、「建国記念日」ではなく「建国記念の“日”」という表現が採用されている点です。法律上の趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定されており、歴史的事実として建国日を断定するのではなく、象徴的に国家の起源を想起する日として位置づけられています。

考古学的観点からは、紀元前660年に大和王権が成立したことを直接示す証拠は確認されていません。一般には、政治的統合の進展は3世紀後半から4世紀にかけての古墳時代に本格化したと理解されています。そのため、『古事記』『日本書紀』の神武東征記事は、実証的年代記というよりも、7世紀後半の天武・持統朝において王権の正統性を内外に示すために体系化された神話的国家叙事と解釈されています。近代においては、その神話的時間が国家の起点として再構成され、紀元節という制度に組み込まれました。

建国記念の日は、古代神話、律令国家の史書編纂、そして近代国家の制度設計という三層が重なり合って成立した祝日です。建国記念の日の本日は、試験の採点、査読、学生の発表ファイルの確認、論文作成…と作業が目白押しです。明日と明後日の行事に備えて作業を進めたいものです。

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