幸せは去ったあとに光を放つ

”なんだ、これがぼくたちさんざんさがし回ってた青い鳥なんだ。 ぼくたち随分遠くまで行ったけど、青い鳥ここにいたんだな。 ”メーテルリンクとメーテルリンクの「青い鳥」に記述があります。また、「幸せは去ったあとに光を放つ」というイギリスの言葉があります。

私たちはしばしば、幸福を「特別な出来事」や「将来に手に入れる成果」として思い描きがちです。しかし、心理学や神経科学の研究を眺めてみると、幸福はむしろ身近にありながら、体験している最中にはあまり意識されず、失われた後になって初めてはっきりと感じられる性質をもっていることがわかってきます。

心理学では、ヘドニック・アダプテーション(快の馴化)という現象がよく知られています。人は、良好な生活環境や安定した人間関係、健康といった状態に比較的早く慣れていきます。その結果、主観的な幸福感は次第に平常水準へと戻り、日常的な充足は「特別な感情」としては感じにくくなります。満たされているときほど、その満たされている状態自体は、意識の表舞台から静かに退いていきます。

私たちは将来の成功や達成がもたらす幸福について、実際よりも少し大きく、長く続くものとして想像する傾向があります。感情予測のバイアス(affective forecasting bias)という視点です。その背景には、出来事そのものに注意が向き、日常生活がもつ「慣れ」や「回復力」を見落としやすいという認知的特徴があります。このため、すでに身近にある幸福よりも、まだ得ていない幸福の方が、魅力的に見えてしまうことがあります。

体験しているときの感情と、後から振り返ったときの評価が一致しないことも、「失われてから光る幸福」を理解する鍵になります。人は過去の出来事を、感情が最も強かった瞬間や終わり方を手がかりに記憶しやすいことが知られています(ピーク・エンド則)。自伝的記憶では、否定的な感情が時間とともに和らぎやすく、出来事全体が回想の中で穏やかに再構成されます。その結果、失われた日常や関係は、体験していた当時よりも価値あるものとして思い起こされることがあります。

神経科学の観点から見ると、脳の報酬系が「予測どおりの幸福」よりも「変化」や「予想外」に強く反応する点が関係しています。ドーパミン系は、安定して続く報酬よりも、期待とのズレに敏感です。そのため、日常の安定した幸福は神経活動としては目立ちにくくなります。一方、喪失や変化は強い注意や学習を引き起こします。また、前頭前皮質と海馬を中心とする自伝的記憶のネットワークは、出来事を振り返りながら意味づけを行い、失われた幸福に新たな価値を与えていきます。

このように考えると、「幸せは去ったあとに光を放つ」という言葉は、人の脳の機能に寄り添った表現として理解されます。この視点は、教育や医療、研究の現場において、日々の安定や何気ない充足に目を向けることの大切さを教えてくれます。

参考文献

Schultz W, Dayan P, Montague PR. 1997. 10.1126/science.275.5306.1593

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください