10月8日の夜、空気には秋の深まりが確かに感じられます。昼は大学会館まで歩きましたが、まだまだ暑いと感じました。本日は、篤志解剖体慰霊式が行われました。実習で2か月近い時間を共にした学生は、より大人びて目に映りました。慰霊式後、足を止めて挨拶して下さった学生の方、ありがとうございました。
研究室には臨床実習を終えたM4の学生が来てくれました。試薬を調整し、来月の学会の準備を行いました。実験を教えれば教えるだけ吸収し、できることが目に見えて増えていく様子に、如実な成長と才能を明確に感じることができます。大学院生は、就職活動をしながら、自分で考える能力を育てているように思います。
夕方には見事な夕焼けを見ることができました。日が落ちてから、研究棟から外に出ますと、昼の名残のぬくもりをわずかに抱えながらも、夜風は透明で、肌を撫でるたびに心を静かにしていきます。空を見上げれば、雲間に見事な月を見ることができます。夏には見えなかった星々が、より鋭く、冷たく輝いています。虫の音は細く長く、遠くからかすかに届くその響きが、過ぎ去った季節を惜しむようでもあり、次に来る季節を迎えるための祈りのようでもあります。
日常の忙しさの中で、ふと立ち止まるこの時間は、過去と未来をつなぐ静かな隙間です。今日という一日の終わりに、誰かの笑顔や別れ、仕事の疲れ、あるいは言葉にならない思いが胸をよぎるかもしれません。金木犀の花の香りがふわりと漂い、冷気を含んだ夜は優しく、それらを受け止めてくれます。
10月8日の夜は、何かを新しく始める決意を静かに温めるにも、失ったものをそっと見送るにもふさわしい夜のようです。月光の下で、失ったものと得たものに想いを馳せる、自らの歩んできた道を静かに見つめ直す――穏やかな時間が流れています…と書きたいところですが、論文のrevisionを急ぐことにします💦






ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしまいほんとうにもうそのまま胸にも吊されそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白い渚にまだひざまずいているのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行ったのかぼんやりして見分けられませんでした。
ジョバンニはああと深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」