人は誰しも、生きるうちに一度は「自分は何のために生まれてきたのか」と問いかけます。壮大な問いに見えますが、その答えは決してあらかじめ定められているわけではないようです。むしろ、日々の選択や出会い、喜びや痛みの積み重ねの中で、ゆっくりと形を帯びていく。誰かの言葉に支えられた日もあれば、独りで立ち上がった日もある。そうした瞬間の連続が、その人だけの意味を少しずつ浮かび上がらせます。また、生まれた意味とは「大きな成果」や「特別な使命」だけを指すわけではありません。家族に笑顔をもたらすこと、友人に寄り添うこと、誰かの心に灯をともすことも、その人ならではの値打ちある役割です。やがて振り返ったとき、日常のほんの些細な行いが、思いもよらぬ形で誰かの支えとなっていたことに気づくでしょう。
「何のために生まれたのか」という問いの答えは、与えられるものではなく、自ら紡いでいく物語そのものです。歩んできた道が、その答えを静かに教えてくれると信じて、本日も採点(145人×N回分)と論文のproofに取り組みました。その間にも、学会に参加している医学類学生に依頼したことに迅速な回答が返ってきました。才能ある方は、レスポンスが早くテンポよく作業を進めることができます(嬉)。

“Life can only be understood backwards; but it must be lived forwards.” (人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きにしか生きられない) Søren Aabye Kierkegaard