書評を掲載いただきました②

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医学教育における視覚教材の到達点としての金字塔
書評者:佐々木 哲也(筑波大准教授・解剖学・神経科学)

 解剖学教育において,実際の人体構造の理解を深めることは,単なる知識の暗記にとどまらず,医療人としての思考の出発点を形づくるものである。その意味で,J. W. Rohen,横地千仭,E. Lütjen-Drecollによる『解剖学カラーアトラス』は,初版から40年近くにわたり,解剖学教育における視覚教材の「実物に最も近い」アプローチを提供してきた。“Photographic Atlas of Anatomy”は世界23か国に翻訳され,解剖を学ぶ者にとってバイブル的存在になっている。第9版は,その集大成ともいえる完成度をもって,医学教育の現場に新たなスタンダードを提示している。

 本書の最大の特徴は,何よりもリアリズムに裏打ちされた高精細な解剖標本写真である。これらの写真は,単に「きれいな画像」であることを目的としていない。現実の実習室でみられる組織の複雑さ,構造の重なり,組織間の自然な位置関係といった三次元情報を忠実に写し取っており,学生にとっては実習前後の「視覚的な予習・復習ツール」として極めて有用である。さらに,CTやMRIなどの医用画像も多数収録されており,実際の診療に必要な構造認識を橋渡しする仕組みが整えられている。多くの解剖学アトラスはイラストやCGで構成されており,実習書や教科書と併用して勉強するには理解しやすい。しかし,解剖実習室において,剖出作業をしながら解剖学的構造を検討するには,本書の「実物に最も近い」写真が大変有用である。

 第9版では章構成が解剖実習の進行順になっており,実習の場で必要とされる構造の理解に即している。これは教員にとっても,講義や実習での説明において教材と現実の一致を保ちやすく,指導上の効果を高める大きな要素である。

 特に注目すべきは,今回新たに導入された「学習ボード」である。これは,系統別(筋系・神経系・血管系など)にまとめられた簡潔な模式図であり,視覚的情報を整理・統合するための優れた補助教材である。写真のリアリズムと模式図の簡略化の長所を併せ持つ構成は,学習者の認知負荷を軽減し,構造の理解を体系化する上で大きな助けとなる。

 実際の解剖実習では,図解教材では把握しきれない血管・神経の太さや走行,膜構造の連続性,構造物の色や質感といった「現実的な視覚情報」が求められる。本書はその点で,実物と最も近い画像教材として,国内外の多くの医学部・歯学部・保健系学部で採用されてきた。近年は献体不足や学生数の増加により,全員が十分に遺体に触れる機会を得ることが難しくなっている。こうした状況において,本アトラスは「第二の実習体験」として,予習・復習や試験前の確認に活用され,解剖学の教育的質を支える重要な役割を果たしている。

 また,本書は豊かな歴史的背景を持つ。1983年に初版が刊行された際,著者らは序文で「図では表現しきれない実物の空間的リアリティを伝えるためには写真しかない」と明言した。以来,版を重ねるごとに解剖標本の剖出技術や撮影技法は進化し,図譜としての質も飛躍的に向上してきた。第9版では臨床画像との連携,模式図の再整理,レイアウトの刷新,章順の改善など,あらゆる面で教育的完成度が高められており,まさにこの40年の集大成といえる。

 初版以来,Rohen教授(Friedrich-Alexander-University Erlangen-Nürnberg)が貫いてきたのは「理想化された図ではなく,実物標本の写真を用いて人体構造を見せる。従来の線画や図では表現しきれなかったリアルな関係性を正確に示す」という哲学である。その精神は,100歳を超えて執筆に貢献された共著者・横地教授(神奈川歯大)にも継承され,実習現場に根ざしたアトラス制作という姿勢を一貫して保ってきた。横地先生は,2024年8月4日に105歳でご逝去され,本書がご存命中に刊行された最後の版である。写真と模式図の両立,臨床連携を意識した図版編集,読者の学習行動に寄り添った章構成の工夫に至るまで,両先生の教育的信念は全ページに通底している。

 紙面の構成にも配慮が行き届いており,余白や構図のバランス,図表の配置が洗練されている。欧文・和文索引の完備により検索性も高く,臨床現場や講義中にも即座に参照できる実用性が備わっている。本書は,単なる写真集や視覚的な副教材ではなく,視覚から学ぶことの本質を追求した教育ツールであり,臨床医にとっては,原点たる「構造の理解」を再確認する有効なリファレンスとなる。

 本書は,従来のアトラスにありがちな「美しさ」と「わかりやすさ」のみを追求するのではなく,「構造の真実」を写し取ることに徹した,解剖学教育の理想像を具現化した書である。医学生,医療系学生,教育者にとって,まさに座右に置く一冊であり,今後も長く医学教育の礎として活用されるであろう。

Illustration of the systems of the human body. An image with a human skeleton, nervous and muscular system. Generative .

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