医の精神を紡ぐ ―筑波大学医学群における解剖実習と革新的医学教育の融合―

2024年度も医学群医学類の系統解剖実習を終えることができました。実習中、学生と共に、私たちの先生であるご献体から、人体の精緻な構造を学ぶことができ、大変嬉しく思います。医学類の教育に携わる者として、学生の才能の煌めきを拝見することができ、大変心強く感じました。6週間にわたる実習への学生の取り組みに敬意を表したいと思います。

筑波大学は、本邦の高等教育の礎を築いた「師範学校」(1872年設立)を起源とし、「東京高等師範学校」(1886-1952年)、「東京教育大学」(1949-1978年)を経て現在の姿に至っています。2024年10月には創基151周年、筑波大学開学50周年を迎えました。その間、筑波大学は一貫して人材教育を重視し、最先端を切り拓く教育を実践してきました。東京高等師範学校の校長を務めた嘉納治五郎先生は、「教育之事 天下莫偉焉 一人徳教 広加万人 一世化育 遠及百世 (教育のこと 天下これより偉なるはなし 一人の徳教 広く万人に加わり 一世の化育 遠く百世に及べり)」という言葉を残されています。この言葉には、ひとりひとりの人間に教育を施していくことは、万人への教育につながり、それは世代を越えて100 年後の社会を支えていくことにもなる、という教育の重要性への思いが込められています。

筑波大学医学群(医学専門学群)は、1973年の開設より医学教育の革新的な取り組みを行ってきました。国内で初めて統合型カリキュラムや長期間の臨床実習を導入するなど、最新の教育手法を取り入れてきました。特に注目すべきは「筑波方式」と呼ばれる6年間の臓器別・症候別統合カリキュラムです。このカリキュラムでは、学生は人体を一つのシステムとして包括的に理解することができます。2004年度には、既存の受動的な学習形態から、「参加型教育、発見的・選択的学習」へと医学教育の大きな改革を行いました。この「新筑波方式」では、問題解決型テュートリアル方式が採用され、2024年の現在に至るまで運用されています。本方式では、一方向的に知識を教える従来の講義形式を極力減らし、少人数の学生グループが自ら与えられた課題に取り組み、解決策を見出していく自己学習を主軸としています。実際の臨床現場で遭遇するような症例や問題を学生に提示し、その解決に必要な知識を自ら学び、考え、議論します。このプロセスを通じて、学生は知識を暗記するのではなく、それらを有機的に結びつけ、実践的に活用する能力を養うことができます。2018年度には、筑波大学医学群は日本医学教育評価機構の「国際基準に基づく医学教育分野別認証」を取得し、2023年度には同機構の実地調査を受けました。本学医学群は、国際基準に適合したカリキュラムを実現し、問題解決能力および患者に信頼される技能と態度を有する医師および医学研究者の養成を行っています。

最新の教育を実施する中で、医学教育の根幹を成す重要な要素として、解剖実習の意義はますます深まっています。人体の構造と機能を深く理解することは、最先端の医療技術を適切に活用する上でも、患者と真摯に向き合う上でも不可欠な基盤となるからです。解剖実習は、医学生が人体の精緻な構造を学ぶだけでなく、生命の尊厳と医療の本質を体感する貴重な機会となっています。学生たちは、献体いただいた故人の尊い意思に触れることで、医療者としての使命感や倫理観を育みます。また、実際の人体に触れ、その構造を詳細に観察することで、個体差や変異を実感し、教科書や図譜では得られない人体の三次元的構造の理解を深めることができます。さらに、解剖実習は多くの学生にとって初めて「死」と向き合う機会となります。この経験は、生と死について深く考察し、将来医療者として患者の生死に関わる際の心構えを形成する上で極めて重要です。また、実習を通じてチームワークの重要性を学び、予期せぬ発見や疑問に直面した際に、自ら調べ、考え、知識を出し合って解決する能力を養うことが可能になります。さらに、6週間にわたる集中的な実習を通じて、精神的・肉体的な耐性が養われ、将来の医療現場での厳しい環境に適応する上で重要な素養となります。

解剖学的知識は診断や治療の基盤をなします。精密な剖出作業を通じて、細部まで注意深く観察する力と、繊細な手技を習得することも、将来の臨床技能の基礎となります。講義で学んだ知識を、実際の人体で確認し、触れることで、より深く、長期的に記憶に残る学習が可能となり、様々な系統の知識を統合的に理解することができます。また、人体の精緻な構造や機能に触れることで、生命科学研究への興味が喚起されることも少なくありません。これは将来の医学研究者の育成にも大きく貢献しています。

筑波大学では、このような医学教育の変化に対応しつつ、献体による解剖実習の伝統を大切に守り、さらに発展させていきます。変化する時代の要請に合わせて、新しい教育手法や技術を積極的に取り入れながら、実際の人体に触れることによって得ることができる知識・技術を重視した解剖学教育プログラムの構築に努めています。バーチャルリアリティ技術や臓器模型などの補助教材は、解剖実習の際に利用することで、学生の理解を深める効果があります。しかし、これらの新技術はあくまで補助的なものであり、献体を用いた解剖実習に取って代わるものではありません。

解剖実習は、本学医学類の学生にとって単なる知識の習得以上の意味を持っています。実習を通じて、学生は医療者としての確固たる基盤を築くとともに、人間性豊かな医師への第一歩を踏み出すことができます。技術が急速に進歩する時代だからこそ、人間性の涵養が重要になっています。

解剖実習は5月中旬から6月下旬の6週間、実施されます。毎年、実習初日は実習室内に独特の緊張感が満ちています。緊張を感じるのは学生ばかりでなく、教員も同様です。約140人の学生が、4人一組で実習を行います。30基以上ある解剖台には、ご遺体が白いネル布に包まれ、さらにビニールシートをかけられて実習台に置かれています。学生はご遺体を包むビニールシートと布を取り除いて、初めてご遺体を目にします。ご遺体を目にしたとき、学生の中には様々な思いが入り混じっているようです。

実習開始からしばらくすると、実習室の環境に慣れて、円滑に剖出作業を行えるようになってきます。解剖実習では、血管や神経の走行、臓器の形態など「現実が教科書通りになっていない」ということを学生に実感してほしいと考えています。最速で解答にたどり着く勉強方法とは違ってすっきりしないと感じると思うのですが、その思いを大事にしていただきたいと思います。ずっと抱いている思いというのは無意識下でも本人の神経回路内で熟成されて、あるとき様々な知識が急速につながる日がきます。

以前よりも解剖実習時間が短縮され、体力的にも精神的にも負担が増していますが、学生たちは、毎日根気よく取り組み、ときには実習時間終了時刻後も残って剖出し、勉強して6週間の実習をやり遂げています。解剖実習の最終日に、学生はご遺体を布で丁寧に包み、ビニールシートで覆ってお棺に納めます。学生が用意したお花や故人への手紙を棺に置いて、最後に全員で黙祷し解剖実習が終わります。拭き清められた実習台に棺が並び、学生が退出した実習室に佇むと、花束の豊潤な香りとともに6週間の膨大な思慮と念慮が残っているように感じられます。

実習終了後、学生は感想文「解剖実習を終えて」を作成します。感想文には、実習中に学生が感じたことや故人との対話が克明に記載されており、実習を通して学生が成長した様子をみることができます。感想文のうち、6編ほどが毎年白菊会会報誌「つくばしらぎく」に掲載され、最優秀作品は篤志解剖全国連合会発行の「解剖学への招待」に掲載されます。白菊会総会と篤志解剖体慰霊式は、多くの参列者を迎えて毎年10月に行われます。

最後に、献体をしてくださった故人とそのご遺族の皆様の崇高なご意思に深く感謝します。医学教育は、こうした多くの方々の篤志によって支えられています。白菊会の皆様のご協力により、我々は高度な専門性を持つ医療人材を育成し、社会に送り出すことができます。これからも、より良い医療の未来を築いていけることを心から願っています。

2024年7月 夕立に包まれる4A棟1階の解剖実習室にて

医学医療系 生命医科学域 解剖学・神経科学研究室

付記:解剖実習中、スタッフの不在がちな研究室を支えてくださった大学院生、卒業研究生、研究室演習参加学生、技術支援員の皆様に心より感謝します。今年度より研究室に参加して下さった医学類、生物学類の学生の皆さん、ありがとうございます。若く才能に満ち溢れた皆さんと一緒に研究活動ができることの喜びを今、かみしめています。よりよい研究環境を作り、新しい知識を生み出せるように不断の努力を行う所存です。

医の精神を紡ぐ ―筑波大学医学群における解剖実習と革新的医学教育の融合―” への4件のフィードバック

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