本日は、日本海側を中心に積雪が急増しているようです。今日本海側だけでなく、西日本の太平洋側にも雪雲が流れ込み、山沿いを中心に大雪となりそうです。スタッフは、来年度のカリキュラム編成や事務作業にかかりきりになっていますが、学生は淡々と実験を進めてくれています。
雪の季節になると、降りしきる白い粒の姿は日ごとに変わり、その変化を見つめ続けた日本人は、細やかな呼び名を授けてきました。空から舞い落ちる雪には、粉のように軽やかな「粉雪」、しっとり大きなかたまりで降りる「牡丹雪」、雨に溶けかけながら落ちる「みぞれ」、そして遠くの雪が風に乗って青空をちらちらと彩る「風花」など、いずれもその一瞬に応じた名前が与えられています。言葉には、儚さとともに愛おしさが刻まれ、寒空の下で人々が交わしてきた想いが偲ばれます。
一方で、大地を覆った雪もまた、その姿が移り変わるたびに別の呼び名をまといます。舞い降りて間もないふかふかの「新雪」は、まだ足跡もない純白の世界を感じさせるもの。雪国の朝に、誰も踏んでいない新雪を見つけたときの胸の高まりは格別でしょう。さらさらとした手ざわりを保つ「粉雪」や、気温の上昇で水気を含んだ「湿雪(べた雪)」は、同じ雪でも触れたときの重さや形づくりやすさが変わるから、雪だるま遊びには好都合だったり、逆に除雪作業には骨が折れたりと、その付き合い方にもさまざまな物語が生まれます。やがて季節が進めば、日中の暖かさと夜の冷え込みが繰り返されて表面がシャーベット状になる「ざらめ雪」へと変貌し、最後にはぐずぐずと形を崩す「腐れ雪」となって消えてゆく――すべてが冬のはじまりから終わりまで、刻々と紡がれる雪の人生譜と言えるかもしれません。
雪の結晶は、その生成過程で六角形を基本としながら、気温や湿度、風の具合などに応じてさまざまな形を描いていきます。この六角の形を花びらに見立てて「六花(ろっか)」と呼ぶようになったのは、古くから人々が冬の空に咲くかすかな花を見出していたからなのでしょう。六つの花びらが織りなす繊細な模様は、一瞬で溶け去るあやうい存在でありながら、その美しさによって永遠を感じさせる不思議をはらんでいます。
「六花」という呼び名は、もともと詩や文学の中で用いられ、雪の風情をなおいっそう引き立てることに一役買ってきました。日本の冬は、しばしば厳しさと隣り合わせであるにもかかわらず、そこに咲くかりそめの花を愛でる心を忘れない――そんな精神が、この名の中に息づいているのかもしれません。白銀の世界を分かち合うために、降りくる雪や積もる雪に何通りもの呼び名を紡ぐ日本の風土。そこには、自然を見つめ続けてきた人々のまなざしと、儚さに寄り添いつつ美を慈しむ姿勢が宿っているように感じられます。

六花咲く 夜半の光に 身をあずけ すべては空に 溶けてゆくまで
白妙に ほどけて六花 乱れ舞ふ 森の静寂 音もなき道
2025年01月09日掲載