失ったものと得たもの、その先にあるもの

今朝のつくばは、濃い霧に覆われていました。毎年何回か経験しますが、本当に濃密な霧で樹木も水滴が付着して、朝陽が反射してキラキラしています。霧は早朝限定なので、濃密で豊潤な水分の中、構内を歩くのも素敵なことだと思いました。願わくば、ゆっくり堪能したいところですが、多くの業務をこなすためには研究室に急がなければなりませんでした。

昼はやや難しい事象に取り組みましたが、(ツールの不調もあって)解が出ることなく夕方になってしまいました。その間に、医学類の学生の方が実験して下さった動物やサンプルを観察し、良いデータが出るようにお祈りしてみました。神経解剖実習の課題を回収してざっと眺めてみると、(いつものことながら)個人によって取り組みに大きな差があるな、と感じました。

夕方、某研究トークを聞きながら、「あの人ならプレゼンテーションファイルをこう作るだろうな」とか「この部分の説明は私ならこうするけど、先生はどう思いますか?」と質問するだろうなと思いつつ修正点をいくつか指摘しました。人によって性格や研究に対する熱量は異なるし、成長曲線も異なるし、自分に課している限界点も異なるものですが、教育によってそれらのパラメーターが変わりうるのか(変えられるのか)ぼーっと考えていました。人が本当の意味で成長する(変わる)のは、自分に足りない点に自らの力で気がつくしかないと思います。「気がつく」ことは、実際に痛い目に合わないと難しい。以前は、厳しく指導されていたであろうラインが曖昧になった「優しい世界」の中でそのような機会があるのか、または教育に新たなパラダイムがあるのか考えつつ、論文の執筆に戻ろうかと思います💦

Carpe diem(カルペ・ディエム)は、「その日を摘め」「今を生きよ」という意味のラテン語であり、古代ローマの詩人ホラティウスの詩(『頌歌(Odes)』1.11)に由来する言葉である。原文では「Carpe diem, quam minimum credula postero.」(その日を摘め、未来をあまり信じるな)と表現されており、ギリシャ哲学のエピクロス主義の影響を受けながら、未来に過度な期待を寄せず、今を大切に生きるべきだという思想が込められている。

この言葉の解釈にはいくつかの側面がある。一つは「現在を大切にする」という考え方であり、不確実な未来にとらわれるのではなく、目の前の瞬間を大切にしながら生きることの重要性を説いている。また、刹那的な生き方を推奨するものとして解釈されることもあり、「楽しめるうちに楽しむ」といった享楽的な意味合いで使われることもある。さらに、人生の無常を意識し、「人はいつか死ぬのだから、後悔のないように生きるべきだ」という哲学的な観点からも捉えられる。この考えは「Memento mori(メメント・モリ)」という「死を忘れるな」という言葉とも関連し、死の不可避性を自覚することで今をより充実させるべきだという思想につながる。

この言葉は、文学や芸術にも大きな影響を与えてきた。シェイクスピアやロバート・ヘリックの詩には、人生の儚さと今を生きることの重要性が表現されており、映画『いまを生きる』では、主人公の教師が「Carpe diem」という言葉を使って生徒たちに詩の魅力を伝え、人生をより意識的に生きるよう促している。また、『タイタニック』においても、ジャックがローズに「今を生きること」の大切さを語る場面がこの思想を象徴している。

Carpe diemの思想を日常生活に活かすには、やりたいことを後回しにせず新しい挑戦をすること、大切な人との時間を大事にすること、そして未来を過度に憂うのではなく今できることに集中することが挙げられる。この考え方は、現代においても人生をより豊かにする哲学として意識されており、文学や映画、音楽などさまざまな文化を通じて受け継がれている。

(2024年11月22日掲載)

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